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雑貨人生20数年の想い出、感じたこと、創作を愛する人へのエール といった感じのエッセイです。
雑貨屋KUMAのエッセイ 「雑貨想い出帖」 バックナンバー

   Vol,14〜Vol,59

(14以前は保存してありません)


第39回
「芸術家と職人の違い」
(2003年6月16日UP)

今回の内容は、あくまでも私の考えであって、世間一般の考えではありません。 私が物作りに対してどういうことを考え、どういうふうに取り組んでいるか、ということであって、決して他の人を中傷したり、非難したりするわけではありません。 それをはじめにおことわりしておきますね。

私は自分を「芸術家」だとは思っていませんし、そうなりたいとも思っていません。 わたしは「職人」ですし、そのことに誇りを感じています。
では私が考える「芸術家」と「職人」の違いはなにかといいますと、芸術家はまず自分ありきで、職人はお客様ありき、であるということです。 が、これも別に根拠があるわけではありません。
自称芸術家とおっしゃる方にも、お客様第一とお考えの方はいらっしゃるでしょう。 しかし私はそういう人は「職人」だと呼びたいのです。 もちろん尊敬を込めて、ですよ。

まず私自身のことをお話しましょう。 私は物作りをします。 その作品たちは私の頭から生み出されたものですが、作品として世に出た瞬間に、私だけのものではなくなります。
どういうことかといいますと、私は作品を作り上げる際に、その作品にはどんな色が合っているかを考えて仕上げますが、それをお客様に押し付けるつもりはありません。
ですから私は、それが作ることが可能な色であれば、お客様のご希望の色に仕上げてお渡ししています。
「この作品はそんなイメージで作ったんじゃない」という押し付けをしない、つまりそれが「作品は私のものであって、私のものではない」ということなんです。

ではしかたなしにお客様のご希望の色で仕上げているかといいますと、それはまったく逆です。 正直に言いまして、「え!? あの作品をその色で?」と思うことはありますよ。 しかしそれをイヤだとは思いません、どころかむしろぜひやりたいと思いますね。
自分が思いつきもしなかった色であればあるほど、その作品がそういう仕上げにしたらどんな風になるのか、非常に興味をそそられます。 それこそこちらからお願いしてでもやらせていただきたい、そう思うほどですよ。

そんな時は作品を作りながらドキドキします。 そして仕上がったときは、いつも驚きますね。 この作品にこんな表情があったのか! そう思いますよ。 これは作家冥利に尽きると思います。 自分の作品の可能性といいますか、違った表情を知った喜びといいますか、ただただお客様に対する感謝の気持ちでいっぱいになります。
物作りをしてきてよかったなぁ〜と、思うのもこんな時ですよ。 気取ってると思われるかもしれませんが、これは本当のことなんです。 人間一人の頭で考えることには限界があります。 特に私のようにデザインの才能に恵まれない人間にとっては、必死に頭をしぼっても、出てくるアイディアなんてたかが知れていますからね。

作品だけでなく、私のサイトのコンテンツでもそうです。 「Howto」を作ったのは私の考えではありません。 これは私の友人のアイディアなんです。 レジンやシリコンなどの素材を販売し始めたのも、その友人の助言によってです。
そうしたことが商売になるなんて、私には思いつきもしませんでしたよ。
「Howto」を公開したことで、私は様々なところから注目をされるようになりました。 今回ONDORI社さんから本を出すことになったのも、そのひとつです。
レジンやシリコンの販売によって、私の収入は安定しました。 その結果、落ち着いて作品を作ることができるようになりました。 これはみんな友人のおかげ、お客様のおかげです。
私はそうした人間関係を大切にしたいと考えています。 自分の考えをまわりに押し付けるのではなく、つたない自分の能力を素材として、みなさんにいろいろと料理してもらって、おいしくしていただくという感じですね。

私は自分の才能を知っています。 ですから自分を人様に押し付けるなんてことはできません。 だから謙虚になれます、といいますか謙虚でなければ生きていけないんですね。 そういう謙虚さを持ったことを幸せだと思っています。
そうした謙虚さがなく、自分の考えや好みを押し付ける人を、私は「芸術家」と呼んでいるのです。 と言いますと、なんとなくわかるでしょ?
「この作品は○○を表現している」などと、説明しなくてはわからないものを作って、何の役に立つのだろう?
「世界を平和に導くためにこの作品を作りました」、その気持ちはわかるけれど、作ったものが世の中を動かすなんてことはありえない、そんなことは歴史を見ればわかることです。
人間はちっぽけなものなんです。 ひとりひとりの人間にそんなに力なんてないんです。 ジョン・レノンのような、ずば抜けた才能の持ち主にだって、世の中を変えることはできなかったんですからね。 もちろん彼がいなかったらもっとひどい世の中だったでしょうけど。

作品の飾り方、使い方を買い手に押し付けたり、お客様のご要望に応えようとしないのは、私から見ればおこがましいと思いますね。
人はひとりで生きているわけではないんですから。 着ているシャツだってそうでしょ。 たとえそれがバーゲンの売れ残りであろうと、そのシャツを作るためには、まず綿を栽培する人がいて、それを糸に紡ぐ人がいて、染料を作る人がいて、糸を染める人がいて、染めた糸を織る人がいて、デザインをする人がいて、デザインにあわせて生地を裁断する人がいて、縫製する人がいて、もちろんそれらを機械化するラインを作る人がいて、縫いあがったシャツにボタンを付ける人がいて、そのボタンを作るための貝を拾っている人がいて、出来上がったシャツを袋詰している人がいて、それを流通させる人がいて、店頭で売る人がいて、それでようやく買い手に渡るわけですよね。
食べる物だってそうでしょう。 どんな些細なものであっても、ほんのわずかにしか使われていない素材であっても、それを作った人たちがいるわけです。
そうした目に見えない無数の人々の恩恵を受けて、私たちは毎日を生きているのです。
もし仮に自分の考えを人に押し付けるのであれば、そういう人は着ているシャツの肌触りがどうのですとか、今日食べた昼飯がどうのですとか、そういうことは決して言う資格はないと思いますね、私は。

自分もそうした無数の人たちの中のひとりだと思って物作りをしている人を「職人」と呼び、ひとりで生きているように、自分を作品と一緒に押し付ける人を、私は「芸術家」と呼ぶのです。
私は職人であり続けたいと思っています。 だから謙虚であることを大切にしているのです。 ちょっとえらそうな内容になってしまって恐縮です・・・・。