Vol,14〜Vol,59
(14以前は保存してありません)
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第30回
「自然素材と人工素材について」
(2003年2月1日UP) |
今回は素材に対する私の考え方を書いてみましょう。
私は正直にいいまして、自分が作品作りに利用している「樹脂」に対して、後ろめたさのようなものを感じています。 では何とくらべてかといいますと、「自然素材」です。 木やガラス、土、紙などといった素材にですね。
なぜでしょう? それは私自身そうした素材が好きだからでしょうね。 できればそうした素材で作品を作りたかったからでしょう。 ですから木工作家さんやガラス作家さんなどに対して、多少引け目を感じているのは事実です。
やはり自然のものは存在感が違いますものね。 手触りも質感も、時には香りもいいなぁと思ってしまいます。
以前の私はそうした引け目、後ろめたさから、樹脂を木のように見せようとか、ガラスのように見せようとか、石のように、あるいは金属のように見せようとしていた時期があります。
しかしどう工夫しても樹脂はやはり樹脂でしかない、どころかそうすることでより樹脂の「軽さ」が露呈してしまう結果となり、どうやったら高級感があって、いい質感の作品に仕上がるだろうと、ずいぶん悩みました。
いろいろと試行錯誤をしているうちに、自分が何をやっているのかわからなくなってきたんですね。 それで気が付いたんですよ。
「樹脂はどうやったって樹脂なんだから、それをごまかそうとしてもしょうがない。 樹脂の良さを認めて、いいところを作品に活かそう」 そう考えるようになったんです。 それからですよ、樹脂がおもしろくなったのは。 「こんなにおもしろい素材だったんだなぁ」と初めて気が付きましたね。
自然素材に対する後ろめたさは今もありますが、それは私の個人的な好みの問題であり、決して樹脂の責任でも品質が劣っているわけでもありません。
樹脂にはほかの素材には真似のできない利点がたくさんあります。 ドライフラワーや昆虫の標本を封入するなんてことは、樹脂でしかできないことです。 まったく同じ物をたくさん作るということは木にはできないことです。 特殊な設備なしに、2つの液体を混ぜ合わせるだけで固まるなんて、土では考えられないことです。
このような樹脂のいいところを引き出すような作品を作ってやればいいんですよ。 私はそうすることで樹脂に新たな可能性を見出して、ある程度までは独特な品質を作品に活かすまでになったと自負しています。
私が樹脂でインテリア雑貨を作り始めたころは、まだ樹脂に対する一般の認識はほとんどありませんでした。 「樹脂」という言葉さえ通じませんでしたよ。 「松ヤニを固めたのか?」と本気で言われることも珍しくなかったですし、「プラスチックじゃん」と軽くあしらわれることも多かったですね。
もちろんまだまだ技術がつたなかったですからしょうがありませんが、今に必ず樹脂の雑貨、インテリア雑貨が増えてくるぞと、そう思っていました。
バブルがはじけて景気が悪くなると、アジア製のチープな樹脂雑貨がわっと出回るようになり、それによって一般にも「樹脂」という言葉が浸透しました。
しかしそうした雑貨は品質が悪く、すぐ割れるようなものがほとんどでしたから、私にとってはイメージダウンで、だいぶやりにくい思いをしましたね。
私が扱っている樹脂は高品質のものですから、当然原価も高いんですよ。 したがって値段もそれなりになってしまうのですが、「同じ樹脂なのにどうしてあなたのはこんなに高いの? ずいぶんぼろ儲けしてるね」
なんて嫌味を言われたもんです。 理由を説明しても
「だったら安い樹脂で作ればいいじゃん」でおしまいですよ。 ずいぶん悔しい思いをしましたよ。
ただ木製だというだけで、作りのいいかげんなアジアの雑貨が、自分の作品よりも高い値段を付けられて売っているのを見ると、「自分の作品はこれほどの価値もないのか」と、よく愕然として自信を失いそうになりました。
ものの本質を見る目を持った人がいるのならば、樹脂だという理由だけで軽い扱いを受けることはないはずだ。 そう自分に言い聞かせて、その本質を持った作品を作って世に問うてみよう、と考えたわけです。
ゼリービーンズミラーはそれによく応えてくれた作品だと言えると思いますね。 それからブロック時計も。
ただ透明だけではダメなんですね。 そこになにかしらのアイディアとデザイン性がなくては、人には相手にされないんですよ。 樹脂の性質を活かしつつ、しかもデザインも研ぎ澄ませていったわけです。もちろん私の才能なりに、ですが。
だんだん樹脂雑貨が一般に浸透し、生活の必需品になってくるにしたがって、樹脂であることを気にされるお客様も減ってきました。 今では樹脂製であることを珍しがる人はまずないでしょう。 私にはようやくやりやすい世の中になったわけです。
樹脂の性質がわかってくるにしたがって、私は自然素材との融合を試してみたくなりました。 しかしそれはむずかしいことでしたね。 どういうわけでしょうか、素材としての「温度」が違うからなのでしょうか。 互いに反発しあってなかなかうまくいきません。 むずかしいものですね。
今私は竹を素材に使えないかと考えています。 竹だけで作品を作ると、なにやら民芸品のようになってしまいますから、素材の一部として使えないだろうかと考えているんです。
そうした試みは以前からしており、革や石、樹、紙を作品の一部に取り入れてみたりしました。 うまくいったものもありますが、もちろん失敗したものも多いですね。
相性が悪かった組み合わせもありましたし、その素材でなければならないという必然性がなかったり、奇をてらっているように見えてしまったり。
無理なく自然のものと樹脂とが調和しているのが理想ですが、その「温度差」を近づけるのが、あるいはなくすのがまだ私にはむずかしいようです。
ほかの作家さんがどうなのかは知りませんが、少なくとも私は樹脂という素材にこだわっているわけではありません。 なんでもいいんですよ、素材は。
ただある程度量産ができて、コストの面でも無理がなく、しかもインテリア雑貨に適した素材が樹脂以外にないから使っているだけで、もし世の中が変わって、一点物でも十分に食べていけるようになったとしたら、おそらく樹脂では作品を作らないでしょうね。 もちろん素材としてはおもしろいですから、応用はするでしょうけれど。
まぁつまり「樹脂命!」というほど、惚れ込んで使っているわけではないということですよ。 好きは好きですけどね。
それに私は物作りはすべて同じだという考えですから、私の中ではインテリア雑貨も料理も園芸も竹炭を焼くことも、なんらかわらないわけなんですね。 インテリア雑貨が収入のメインだというだけで、生業だとは思っていません。
14年の11月から近所のお年寄りと一緒に、農産物を加工して売る仕事を始めましたが、これは仕事とは違う趣味だ、という感覚はありませんね。 自然の素材を使って作品を作っていると思っていますよ。 事実そうですからね。
それとは別に青年会では畑をやろうと思っています。 自分達が食べるためだけでなく、積極的に出荷してみようと考えているんです。 これも土という素材を使った物作りだと思っています。
一つの素材に情熱を注ぎ込んで、技術を蓄積させている人も素晴らしいと思います。 できれば私もそうなりたかった。
しかし私の人生はそうはなりませんでした。 そのことに多少の未練といいますか、後悔に似た感情はありますが、それ以上になんでもやってみることの楽しさの方が、今の私にははるかに大きいですね。
小物だけでなく、家具も作ってみたいですし、これから木工の勉強をしてもいいな、とも思っています。素材はなんでもいい。 物作りに境界線はないのだから。
最近私は精神的にとても楽になりました。 これまではインテリア雑貨と樹脂でやっていくんだ、という意気込みがあったのでしょう、それが知らず知らず自分自身を縛っていたようです。 その呪縛から解放されたとでもいうのでしょうか、今の私の前には無限の可能性が広がっているように感じます。 |
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