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雑貨人生20数年の想い出、感じたこと、創作を愛する人へのエール といった感じのエッセイです。
雑貨屋KUMAのエッセイ 「雑貨想い出帖」 バックナンバー

   Vol,14〜Vol,59

(14以前は保存してありません)


第33回
「雑貨屋店長奮闘記」
(2003年3月16日UP)

私が専門の学校出身ではなく、雑貨屋さんのアルバイト店員からメーカーに、そしてインテリア雑貨を作る作家になったことは、これまでにも何度かお話をしましたし、アルバイト店員から店長になったいきさつも、第17回でお話しましたからはぶくとしまして、今回は店長としてどんなことをしていたのか、どんなことがあったのかについて、簡単に書いてみましょうね。

私が横浜の駅ビルの中にあった、とある雑貨屋さんの雇われ店長になったのは、22歳の秋でした。
私のところに「店長をやってみないか」という話がきたとき、その駅ビルは全館リニューアル工事の最中でした。 そのテナントの雑貨屋さんで新しく店長を探している、という話を持ってきてくれたのは、友人でもあるメーカーの営業さんでした。
当時、アルバイトをしていたショップに嫌気がさしていた頃でしたので、ちょっと考えたのちにやることにしました。 もちろん知り合いの営業さんたちがみんなでバックアップしてくれる、という安心感があってのことでした。

一店のショップを任されることへの不安はありませんでしたね。 アルバイトとはいえ、前の雑貨屋さんではかなりの実績も残していましたから、売上げに関しては自信がありましたよ。 これなら必ず売れる、というやり方を自分なりに工夫していましたから、今度は思う存分腕がふるえるぞと、ワクワクしていましたよ。

前にも書きましたとおり、最初から新米店長にショップの仕入れをすべて任せるほど、世の中は甘くありません。 専門のバイヤーがいて、その人が全体の大半を仕入れるわけなんですが、それに対してもずいぶん注文をつけました。 あれとあれは必ずやってくれ、これは絶対にやらないでくれ、といった具合にですね。 かなり生意気でした(笑)
それでも気に入らないものをバイヤーが仕入れてくることがあり、そんなときは床に叩きつけたり、、踏みつけたりして壊して捨ててしまったことも多々ありましたし、店に出さずに物置にほうりこんでおいて、「売れないから返品してください」なんてこともよくやりました。 こんなもの置けるか!って気持ちでした。 今考えると無茶苦茶ですよね、ははは。

そんなことだけでは自分の仕入れの枠は増やせません。 ですから私が仕入れたものが売れている、ということを数字で見せつけるなどして、次第次第に仕入れ枠をぶん取っていったわけです。
リニューアルしてみると同じフロア−に、「キディーランド」が経営する雑貨屋が新たに参入していました。 私のショップの坪数がわずかに10坪足らずに対して、むこうは50坪、しかもバブル経済の波にのって、かなりお金をかけた内装でしたから、こちらの会社としては驚いたわけなんです。
同じ業種であり、メーカーや問屋もダブっていましたから、会社から営業部に抗議したようですが、私には勝つ自信がありましたよ。 なぜといって、当時雑貨を熟知していた私には、50坪も埋めるだけのいい商品が、業界にないことを知っていましたから。 案の定スペースを埋めるためにずいぶんヘンなものも扱っていましたね。 キディーランドはファンシーには強くても、雑貨に関しては素人ですからね。

もうひとつ私には売上げで負けない方法、売るためのテクニックを見つけていたんですね。
それはどういうやり方かと言いますと、スーパーマーケットの「前進陳列」という商品の売り方、並べ方を取り入れる方法でした。
前進陳列というのは棚に同じ商品を一列にずらっと並べ、前のものが売れたら全体を前に出す、というあれです。
今はどこでもやっていることですが、当時の雑貨屋ではこんなやり方をしているところはありませんでした。 これは高校時代に、スーパーでアルバイトをしたときの経験が活きていたわけなんです。

その頃の雑貨屋さんでは、安いものは箱やバスケットなどにガサっと入れ、置時計やランプなどのちょっと値のはる商品は、見本をひとつだけ置いて、お客様に 「これをください」と言われたら在庫を出してくる、という売り方をしていたんですね。
しかしお客様の中には「これは在庫がありますか?」とか、「箱入りの商品ですか?」といったことを、店員に聞くのをためらわれる方もたくさんいらっしゃるということを、私はアルバイトをしているときから知っていたので、商品を棚にずらっと並べたんですよ。 一番前に見本をひとつ出してね。
こうすれば店員の手間もはぶけますし、在庫もわかりやすく、ストックスペースも有効に使え、しかもお客様にとりましても気軽に商品を買うことができるわけです。 今では当たり前のことですが、当時としてはちょっと画期的だったんですよ。

しかしこの売り方のむずかしいところは、ただ並べただけではショップの雰囲気が平坦になりますし、殺風景にもなりやすいんですね。 ですからディスプレイが重要になってくるんですよ。
私にはそこにも工夫がありました。 「1割で見せて、9割で売る」というのが私のディスプレイの持論です。
どういうことかといいますと、ショップの面積の約1割はお客様を惹きつけるために飾り、残りの9割は売るためのディスプレイに徹する、ということなんですね。 ショップ勤めの経験のない方には、ちょっとおわかりにくいかもしれませんが、見せるディスプレイと買っていただくためのディスプレイは違うんですね。

見せるディスプレイはいわゆる「ショーウィンドウ」的なスペースであり、飾り方で、売るためのディスプレイは、見やすく、買いやすく、多少雑貨屋さんらしく雑然としていて、しかも全体として見た場合に、統一感がなくていはいけませんから、これは一朝一夕でできるようになるものではありません。
ひとつの棚にしても、並べる商品に気を配らなくてはいけません。 隣りあわせに置いたときに、相乗効果を生む組み合わせもあれば、お互いを殺しあってしまうものもありますから、それを見極めて並べなくてはいけないんです。
しかも棚は一段ではありませんから、上の段から下の段への商品構成も大切ですし、什器全体の流れも、お客様の購買意欲に大きく影響しますから、「ここの商品が全部売れて場所があいたから、別の商品を並べよう」では到底売れるショップにはできないんですよ。
これが雑貨屋の店長の一番むずかしく、重要な仕事なんです。 ディスプレイと仕入れ、それ以外はたいしてむずかしいことではありませんね。 バイトの子と遊んだり、営業さんとお茶を飲んだりしていればいいんです。

仕入れでむずかしいことは、売れる商品を見極めること、もちろんそれも大切ですが、それはある程度雑貨を知っていればだれにでもできることなので、本当のことを言えばそれほどむずかしいことではありません。
それよりもショップにあるすべての商品の種類と売れ方、在庫数、メーカーや問屋の在庫状況、入荷予定を、頭の中で完全に把握することの方が大変なんですね。 こっちの方が大切でしたね。
私はもちろん全部は無理でしたが、売れ筋商品に関しましては、ほぼ完璧に把握していました。 メーカーの在庫状況、工場からいつ入荷するかもみんな知っていましたよ。 それによっては買い占めたりもしました。
ですから営業さんに 「クマちゃんそれ全部持っていかれると、次に行く店に卸せなくなるから、ちょっと返して」なんて言われて、しぶしぶ納品数を減らす、なんてこともよくありましたよ。 かなり無理を言うこともしばしばでしたが、その代わりに、メーカーや問屋が売れなくて困っている商品なんかを引き取って、ディスプレイの力で売ってあげることもしましたから、まぁギブアンドテイクってことですね。

私は当時若かったですし、顔が童顔でしたから、営業さんになめられないようにひげをはやしていました。 その上ストレスのために目つきが悪かったですから、飛び込みできたメーカーさんなどには結構怖がられましたね。 もちろん慣れれば「いい人」ですが(笑)
そんなわけで店員の女の子達から、「熊崎さんがいるとお客さんが怖がって売れないから、お茶でも飲んできてよ」と、よく言われましたし、事実そうでしたよ。
だれだって目つきの悪い兄ちゃんよりも、かわいい女の子の方がいいですもんねぇ。 私だってそうですよ、ええ もちろんそうですとも。
ですから私は仕入れとディスプレイ、そして店員のみんなが楽しく働ける雰囲気を作ること、それだけが仕事だと割り切って、あとは営業さんとずっとお茶を飲んで遊んでいましたね。
店に戻るとみんながレジの小計を出して私に見せつけるんですよ。 「ほら、熊崎さんがいないとこんなに売れる」とかなんとか言われたりしましたよ。 楽しかったですねぇ。

ディスプレイではよく遅くまで残業をしました。 しょっちゅうでしたね。
やはりひと月に一回は大きくレイアウトやディスプレイを変えないと、いつもいらっしゃるお客様に飽きられてしまうんですね。 ですから時々は並べ方や見せ方を変えなくてはいけないんですが、これもあまり変えすぎて、商品の場所がお客様にわからなくなってはいけませんし、かといって変わり映えがしなければしょうがないですから、そのへんもちょっとむずかしかったかな。

おもしろいことにディスプレイを変えると、商品がその場所に落ち着くまでに、10日から2週間くらいかかりましたね。 これは新しく入荷した商品も同じでした。
不思議なんですが、なんだかもじもじしたり、びくびくしたり、逆にまわりから浮いてしまったりするんですよ。 「みんな生きているんだなぁ」と、よく思いました。
そうなんですよ、商品はみんな生きているんです。 売れない商品はいじけていますし、売れている商品は堂々としています。
私は売れない商品があると、「お前はいい商品だから、きっと売れるよ、大丈夫だよ」と、心の中で呼びかけて、きれいに掃除してやったりしました。 そうすると売れるんですよ。 ホントですよ!
そうやって売れていく商品を見送りながら、「よかったね」と思うことが何度も何度もありました。 これがデッドストックを作らない一番のコツだと、私は断言しますよ。 雑貨を愛してやれば、必ずみずから輝きだす、そう信じてやってきましたし、今でもそう思っています。 バカか、と思われるかもしれないけど。

雑貨が好きなんですね。 ですから残業代がつかなかろうが、ボーナスがなかろうが、安月給だろうが関係なく、仕事は楽しかったですし、ディスプレイを考えたり、夜中の誰もいないがらんとしたフロア−で、たった一人であーじゃない、こーじゃないと並べ替えたり、飾り付けをしたりするのは、仕事をはなれた趣味のようでしたよ。
おかげ様でディスプレイで賞をいただいたこともありますし、売上げでも記録を作ったりしました。 しかし、会社のあまりにも無理解なことに心底うんざりして、仕事は好きなんだけれど、そんな会社のために遅くまで働くことがバカらしくなって、1年余りで辞めてしまい、メーカーへと転身したわけなんです。

店長をしていた間は、週一回の休み(取れれば)以外は、毎日朝9時半から夜9時まで働き、そのあと週に何回かはディスプレイのために残業をし、家に帰って食事の支度をし(一人暮らしをしていたので)、風呂を沸かし、ホッと一息つく頃には日付が変わっているという、今では考えられないハードな生活をしていました。
心身ともにかなり疲れましたが、得るところも多かった、私の人生にとりまして貴重な店長経験でしたね。