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雑貨人生20数年の想い出、感じたこと、創作を愛する人へのエール といった感じのエッセイです。
雑貨屋KUMAのエッセイ 「雑貨想い出帖」 バックナンバー

   Vol,14〜Vol,59

(14以前は保存してありません)


第54回
「私が出会ったこんな人、あんな人」
(2004年2月1日UP)

このところかたい話が多かったので、今回は若い頃の想い出をちょっと書いてみましょう。

現在では雑貨屋さんは憧れの職業になっていますが、私が若い頃、今から10数年前の雑貨業界というのは、とにかくヘンな人間ばかりでしたね。 一般社会で生きていけない人間が、「非常識」という名の風に吹かれて集まった、世の中の吹き溜まりみたいな業界でしたよ。
まず我が強い。 で、わがまま。 しかもなまけ者で欲が深いなどという、そんな人間が多かったですね。
時間にルーズですから、約束の時間なんて守りません。 遅れてきても「すみません!」などというヤツはほとんどいませんでした。 「どーも〜」なんて気楽に来て、それで 「お茶飲みに行きません?」とか言うんですからね。 肝が太いというか無神経というか・・・。
しかしみんな雑貨が好きだ、という情熱だけは素晴らしく、雑貨の話を始めると時間を忘れる、という感じでした。
これからお話するのは、私が雑貨屋でアルバイトをしていたときや、そのあとで店長をしていたときに出会った、とんでもない人たちのエピソードです。

まず最初にご登場いただくのは、とあるメーカーの社長で、私が出会った頃は文具メーカーから独立して、雑貨の問屋を始めたばかりでした。 当時その人は30代半ば、だったでしょうか。
まだ自分の商品を作る力、つまりお金と営業力がなく、引いてきた物を卸していましたが、いい商品を持っていましたね。 のちに 「アンティークブーム」と呼ばれた、雑貨業界の大きなうねりがありましたが、そういった商品をほかに先駆けて手広く扱っていました。 しかもとてもセンスがよかったですね。
ところがこの人がたいしたくわせもので、例えば私が10万円分の商品をオーダーしたとすると、必ずそれ以上の商品を送りつけてきましたね。 頼んでもいないものをどさっとね。 ひどい時には30万円以上の商品を送ってきたことがありましたよ。
「勘弁してよぉ〜」と電話をすると、「今度行ったときに引き取りますから、置いておいてくださーい」って言ったままなかなか来ませんよ。 忘れた頃になって(実際忘れるのを期待していたと思うけれど)平気な顔してやって来て、「これ前送ってきた分、返品ね」というと、「わッ!覚えてやがった! 来月の伝票にしてくださーい」とか気楽に言うという、とんでもない人でした。
なにしろほら吹きで、ルーズでどうしようもなかったですねぇ。 それでも扱っている商品がよかったし、話をすると勉強にもなったから、長らく付き合っていましたが、金回りがよくなってきたら人が変わってしまい、結局ケンカ別れしてしまいました。

次にご紹介するのは、あるメーカーの営業をしていた、私より2、3歳年下の男の子です。
その会社に入りたての頃は割と素直でおとなしかったんですが、ところがこいつが実は生意気なヤツでね(笑)
態度がでかくて横柄で。 確かに 「雑貨業界は少しぐらい生意気な方がいいんだよ」とは言ったよ。 しかしものには限度ってものがあるだろうに。 とにかくなにを言ったって聞きゃーしない。 仕事は熱心でよくやってはいたけれど、商売なんだからね、謙虚さがなければ愛嬌がないよ。 それでもかわいいヤツでした。
出会ってから3年ほどたって、私はメーカーとして独立し、ハンドメイドものをちまちまとショップに卸していたある日、ラフォーレ原宿のあるショップで顔を合わせました。
そのとき 「熊崎さんそんなもんやってんすか? ボクは今ニューヨークでスニーカーを買い付けて売ってるんすけど、今月は300万動かしましたよ!」と、人を見下すような眼で見て(実際に見下していたんでしょう)馬鹿にしたような笑いを浮かべて去って行きましたが、今どこでどうしているでしょうね。 痛い思いをして、少しは謙虚になっていればいいけれど・・・。

私がメーカーになるきっかけを作った社長の話です。 のちには数人のデザイナーを置くようになりましたが、その頃は社長ひとりでデザインを考えていました。 そのデザインが奇抜で、ヘンテコで、すごかったですね。 今でもヘンテコですごいですけど。
私は雲の上の人のように思っていました。 きっと繊細で切れる人なんだろうなぁと、思っていましたが、実際に会ってみると、まるで子供がそのまま大人になったような人で、第一印象は「犬のぬいぐるみ」でした。 ニコニコした気のいいおじさんでしたね。
この社長は商品のデザインを考えるほか、もうなにもできない人でした。 よくそれで会社がやっていけるなぁと思ったら、経理を担当している人がとてもシビアで、頭のいい人だったんです。 会社はその人が切り回して、社長は絵を描いて遊んでいる、そんな感じでした。 おそらく総理大臣がだれなのかも知らなかったでしょうね。
一度などは会社に遊びに行ったら、「今我が社では卓球が流行っていてね!」とか言って、みんなで2時間くらい遊んでいました。 とにかく「会社」という雰囲気ではなかったですね。
そうした社長の人柄、デザイン、会社の雰囲気、すべてが好きで、憧れて私はメーカーに転身したんですよ。 あの社長との出会いがなかったら、私はメーカーにはなっていませんでしたね。 おもしろいもんです。

ショップのオーナーにもヘンな人が多かったですね。 ある有名なジャンクショップに行って店内をぶらぶら見ていたら、「お、これはいいな」と思ったものがあったから、「これいくらですか?」と聞いたら、「そこに銀行があるよ」という返事です。 ??? 一瞬わかりませんでしたが、つまりそれほど高い、ということなんでしょう。 「高いよ」って言えばいいのに。 偏屈な人でした。
有名なショップでしたが、バブルの崩壊とともにいつの間にか消えてしまいました。 やっぱりお客さんあってのショップですものね。 そういう商売のやり方は、社会情勢が変われば続かなくなりますよ。

中には絵に描いたようなマジメ人間もいました。 どうしてあの人雑貨業界にいるんだろう?と、だれもが言っていましたね。 つまりこのあたりが一般社会で生きられない人間の、吹き溜まり的発想なんですが、みんな「向いてないよね」と言っていましたし、事実そうでした、向いてませんでした。
言うことすることがマジメで堅くて、しかも雑貨がわからなかったですね。 「どういう商品を持ってくればいいんでしょうか?」と、よく言われました。 向こうの方がずっと年上なのにね。
どんな商品がおしゃれで、どんな商品がダサいのか、それがまったくわからなかったですから、それでは雑貨業界に向いていないと言われてもしょうがないわけです。 マジメでも不器用ではうまく世渡りはできませんね。 その人を見ると、いつも意味もなくため息がでました。

犯罪者もいましたよ。 その男はぱっと見はとても愛想がよくて、だれにでも好かれていました。 着ている服も身につけているアクセサリーも、持っているものもすべて高価なもので、奥さんもとてもゴージャスな格好をしていました。
子供がいなくて共稼ぎとはいえ、よくあれだけの贅沢ができるなぁ、と思っていたら、実は愛想のいい顔の裏ではあらゆる詐欺行為を働いて、いろんなところからお金を騙し取っていたことがあとで露見し、どこかへ消えていきました。 渋谷の路上でZIPPOのライター(ニセモノでしょうね)を売ってるのを見た、という人もいましたが、ああいう人間はまっとうな暮らしは絶対にできませんね。

まぁそこまでひどくなくても、雑貨業界にはお金に関するトラブルが多かったですね。 かく言う私が店長をしていた会社も、メーカーになかなかお金を払わないので有名でしたが。 お金がないわけではないのですが、どういうつもりかいつも滞るんですよ。
メーカーに電話してオーダーをしようとすると、「クマちゃんだから卸してあげたいんだけどさ、まだ先月分が入ってこないんだよねぇ。催促したんだけど払ってくれないだよ」とよく言われました。
仕入れができなければ売上げだって伸ばせませんよ。 すぐに経理に電話をして「仕入れができないからすぐに支払ってください!」ということがしばしばでした。 ホントにケチな会社でしたよ。 社長は私の実績を認めようとはしませんでしたし、仕事はやりにくいしで、バカバカしくなって1年ちょっとで辞めてしまいました。 

私が雑貨業界に入った頃には、ガレージセールの経験者がまだ結構いましたね。 今のガレージセールやフリーマーケットなどとは違って、本当に空いている倉庫や空き店舗を1日借りて、商品を売るんですよ。
商品はアメリカで放浪していた時に、向こうのガレージセールで買ったものとかね。 そんなものを売っていたそうです。 中には路上に店を広げて、「よくヤ〇ザに脅かされたよ」などという人もいました。 そうした70年代のヒッピーあがりの人たちがお金を稼いだのが、雑貨業界の始まりだったようですね。

そんな社会の異端者ばかりの業界でしたが、いいことも悪いことも、すべてさらけ出した人間の強さとでもいうのでしょうか。 雑草のように図太い人が多かったですね。 腹蔵なく本音で話ができる人たちでした。
前出の私が尊敬している社長が、以前こんなことを私に言いましたよ。
「今は従業員も増えて、売上げも数億になって、会社としては大きくなっていいんだろうけれど、ボクはむかしの方がよかったよ。 地下のアジトみたいな事務所でさ、みんなで競争でアクセサリーを組み立てたり、袋詰したりしていた頃の方が楽しかったね」
なにしろカウボーイに憧れてアメリカに渡ったという、変わった経歴の持ち主でしたから、「安定」した状態が居心地悪かったのでしょうね。

そうした大勢のヘンな人たちと付き合って学んだことは、「商売である以上我が強くなければいけない。しかし謙虚でなければ商売をする資格はない」ということでした。
私自身メーカーとなってから、雑草のような下積みを10年以上続けて、ここまで這い上がってきました。 ですから私も我が強くて、相当図太い人間です(笑)
そうした私の眼から見ますと、今の雑貨業界はこぎれいで、おしゃれで、スマートで、例えるならば花屋のショーケースをのぞくようです。 しかし見た目にはとても気高く美しい花たちは、雨風激しい自然の中では生きていくことも、繁殖することもできません。
雑草は踏まれても踏まれても花をつけ、種を飛ばすことができます。 私はいい時代に雑貨業界に入ったと思いますね。