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雑貨屋KUMAの田舎暮らしエッセイ 「東丹沢山ごよみ」 バックナンバー

  第1回
 「田舎暮らしをはじめて14年」

  第2回
 「私の住む集落を紹介しましょう」

  第3回
 「山歩きと日本の山林の現状」

  第4回
 「私の山の楽しみ方」

  第5回
 「山野草と山菜 春のよろこび」

  第6回
 「春から初夏の山」

  第7回
 「幻想的な梅雨時の山、そして夏へ」


  第8回
 「秋の山野草と山の生き物たち」



第3回
「山歩きと日本の山林の現状」
(2012年2月9日UP)

この 「東丹沢 山ごよみ」 では、神奈川県西部の山の中腹にある歴史の古い集落で、2012年12月までの約15年間、家族とともに田舎暮らしを楽しんだ私の日常や、山で見られる美しい花や風景をご紹介しています。



私の好きな山歩きコース
私はいわゆる登山というものをしません。 つまりどこそこの山頂を目指す、ですとか、山の稜線伝いに縦走する、というようなことはしません。 私が好きなのはただ山の中を歩く、という意味での 「山歩き」 なのです。

私が登山をしない理由は3つ。

@高所恐怖症だから。 ふざけてません、本当です。

Aストレス性の眼病のため距離感がつかみづらく、それが高所恐怖症に追い討ちをかけるから。 岩場とかものすごく怖いんですよ。

B山に行く目的がおもに花の画像を撮るためだから。 とにかく花が大好き。


ストレス性の眼病というのは、「中心性漿液性脈絡網膜症(ちゅうしんせいしょうえきせいみゃくらくもうまくしょう)」という長い病名で、30〜40代の男性に多く発症し、片方の目の網膜に浮腫(水ぶくれのようなもの)ができる病気で、そのために物がゆがんで見え、しかも一回り小さく見えるため、左右の目で物が見づらく、距離感も若干ずれるのですよ。
一度発症すると癖になって完治することはあまりなく、根本的な治療法も確立されていない病気で、もう数年前から発症したり治ったりを繰り返しています。


でもやっぱり花を見て、画像を撮りたいからというのが一番の理由ですね。 当然ゆっくり歩きますから長い距離を歩くことができないので、登山には向いていないのですよ。
実際に山を歩いていますとね、登山をする方たちに出会うわけですが、もう脇目も振らずという感じで黙々と歩いています。 そういう一団を見ますと、「ここにきれいな花が咲いてるのに、もったいないなぁ」 と私は思ってしまうわけなんですよ。

それでは山のどういったところを歩いているのかといいますとね、あまりご存じないと思いますが、山にはいたるところに林業のための林道が作られているのです。 右の図の緑の丸の中の道がそれですね(上と下の画像がその林道の様子)。

地図上では前後が途切れていますが、実際にはつながっていますし、山の中ではさらに奥へ奥へと続き、たどっていきますとその先でさらに他の林道と交わっていて、歩く気があれば静岡県へも山梨県へも行くことができます。
こうした林道が日本の山には毛細血管のように整備されているのです。 知ってました?

Googleの地図で見てみると、こうした林道が
いたるところにあることがわかりますよ。



車が入れるように整備された林道。
ですが一般車両の進入は禁止されています。
林業のための林道ですから、当然スギやヒノキの植林されたところが多いのですが、雑木林も残っていますから、歩いていても楽しいコースなのです。
なにより一番いいのがほとんど人に会わないこと (動物には時々出会います)。 観光地化した登山道ではありませんから、のんびりと散策を楽しむことができるのですよ。 つまりこうした林道は、山好き自然好きにとっては穴場なのです。

もうひとつの利点があります。 それは林業用の道ですから当然車が入れるようにある程度道が整備されていて、舗装された道も多いですし、傾斜も緩やかで、足元も比較的安全で、私のように眼を患っている者でも安心して歩けるのです。

私の住んでいる集落の北側の丹沢山塊は国定公園で、交通の便もいいことから、休日になりますとかなりの人が訪れます。
中高年の登山ブームがすっかり定着して、それはとてもいいことなのですが、ケガをされる方や、具合が悪くなって歩けなくなる方も多く、週末には必ず救急車が山の方へと上って行きます。

山の楽しみ方は登山だけではありません。 むしろ中高年の方にはのんびりと自然の中の散策を楽しんでいただく方がいいと私は思っていますから、こうした林道ハイクをオススメするわけなのですよ。


さて、ここから少し前回の続きとなりますが、山の現状について少し見ていただきましょう。 見て読んでいただければ、きっとこれから山を見る目が変わると思います。
先ほど書きましたように私が歩くのは林業のための林道ですから、スギ林、ヒノキ林の中も歩くことになります。 そうした山では日本の実情を知ることができるのです。



同じ種類の植物だけを一箇所に植えますと、自然のバランスが崩れてしまいます。 それでも木山の持ち主が間伐や枝打ちなどの手入れをしていればいいのですが、安い輸入外材に押されて国内の材木は商売にならないため、最近は親から受け継いだ持ち山がどこにあるのかを知らない人が増え、放置されている林がとても多いのです。
森林組合がある程度は管理をしていますが、他県の林業者が手入れや伐採作業に従事しているのが実情なのですよ。

手入れをしないまま放置されたスギ林ヒノキ林は、右の画像のように陽が入らないため、うっそうとして下草があまり生えません。

薄暗くて不気味な感じですね。



落ち葉のクッションが乏しい。
スギやヒノキには殺菌成分が含まれています。 ですからスギやヒノキの家は長持ちするわけですね。
建材としてはとても優秀ですが、落葉樹ではありませんからあまり葉を落としませんし、落ちた葉や枝にも殺菌成分が含まれていますから、虫や微生物、菌による分解が進みにくいのですね。

虫や微生物が落ち葉や枝、倒木を食べて排泄し、さらに土の中に棲む土壌微生物が分解して土になります。 土壌微生物が増えることで土が団粒化して、土の中の通気性と水の吸収性、また水はけがよくなることで、植物が生育しやすくなる環境が作られるわけです。 もちろん土には豊富な栄養素が含まれるようになります。

しかし、スギやヒノキの林ではそうした植物と小さな生き物たちとの相互の関わりがあまりありません。 ですから土もやせて砂状になります。 土壌微生物が少ないと土が団粒にならないのですね。
団粒になっていないと通気性が悪く、水の吸収性も、水はけも悪い土壌となり、そうした環境では植物が生育しにくくなりますから下草も少なく、雨が降ると表面の土(砂)が流されてしまうのです。


スギやヒノキはそれほど深く根を張りませんし、細かい根もあまり生えませんから、土をつかむ力は強くありません。
そしてその結果が右の画像のように、土砂と植林木の流出となるのです。

落葉樹の多い雑木林から流れ出た雨水には、土のミネラル分が含まれますから、川の中の小さい生き物や植物の生育を助けることになりますし、流域の土壌も、最終的に流れ込む海をも豊かにしますが、スギやヒノキ林から流出した砂や赤土にはミネラルなどの栄養素が乏しいばかりか、川底を埋めて小さな水生生物を殺してしまい、生育場所も奪ってしまいます。
また水辺の植物の生育を阻害し、その結果として魚や虫の棲みかが少なくなりますし、海に流れ込んではサンゴや海の生き物たちにも悪影響を及ぼしてしまうのです。

単一植物を植えて手入れを怠る、文字に書けばこれだけのことですが、その結果は大きな影響を引き起こすわけですね。

しかしその根本は、安い外材を輸入して国内に植林されたスギやヒノキを活用しない生活をしている、われわれすべてに責任はあると思わなければいけないでしょうね。 もちろん山の持ち主を非難する気はありませんし、われわれ国民が意図して日本の林業を衰退させたわけでもありません。 だれも望まないのにそうなってしまったのです。

こうした光景は山ではめずらしくありません。
表土が流されて、地表に根がむき出しに
なっているところも少なくありません。



だれだって見たくないですよね。
実際に見ると胸がつぶれそうになるほど
心痛むショッキングな光景です。
左の画像をご覧ください。 これは事故車ではありません。 不法投棄された廃車です。 これが街に住む人たちの知ることのない日本の山の姿です。


手入れされていないということは、人がほとんど来ないということを意味します。 人の目の届かないうっそうとした薄暗い闇には、同じように闇の心を持った人間がやってくるようになるのです。 汚くしていると落書きをされ、ちゃんと掃除をして花を飾ると落書きがなくなるのと同じです。

植林されたスギやヒノキを活用しない今の日本のあり方が、林業を衰退させ、林道を不法投棄に活用するための道にしているのですね。
この山に捨てられている車はこれ1台ではないのです。 車だけじゃない。 いらなくなった家電、家具、寝具、家庭ゴミがたくさん捨てられているのが日本の山の実情なのです。
富士山が世界遺産に登録されないのも、不法投棄がなくならないからです。

林業が盛んになったからといって不法投棄がなくなるわけではないでしょうし、こうした違法行為をする人間に問題があるのであって、繰り返すようですが林業者や山の持ち主を責めているわけではありません。


国や各自治体における無駄遣いの見直しはもちろん必要ですし、もっと厳しくチェックすべきでしょう。
前回書きましたように、私は砂防ダムや意味のない堰堤に数千万・数億というお金をかけるのではなく、その予算で建築業者に林業の一部を担ってもらうのが一番いいんじゃないかと思うのですが、いかがでしょう?

たとえば管理されていないスギやヒノキを伐採して、そのあとに広葉樹の苗を植えるとか、植えたあとの下草刈りなどの管理を請け負ってもらうといった仕事をしてもらうわけですよ。
砂防ダム一基造る予算でかなりの面積の植林や管理ができると思うんですよね。
どうでしょう? 机上の空論ですかね(^^;) 建築会社に勤める知人は 「仕事がもらえるならなんでもやるよ」 と言っていましたが。


スギやヒノキ林でも少し陽の入るところでは、右の画像のようにシダやアオキが育っています。 もちろんそれですぐに土がよくなるわけではありませんが、少なくとも土砂の流出を防ぐ役割の一端は担ってくれます。
人間が壊した自然でも、植物たちは少しずつ元に戻そうとしてくれます。

山の生き物はシダを食べません。
ですから里に出てきて作物を食べざるを得ないのです。


それでは雑木林で本来の自然のサイクルを見ていただきましょう。 今は落ち葉のマットに覆われていますが、春になりますと一面緑の草のカーペットとなります。

広葉樹よりも針葉樹の方が、1本の木についている葉っぱの量ははるかに多いのですが、広葉樹が毎年葉を落とすのにくらべ、針葉樹の葉は寿命が長いので、相対的に見て針葉樹林の落ち葉の量は少ないと言えるのでしょうね。 しかも先ほど書きましたように殺菌作用がありますから、土に戻りにくいわけです。

ここに写っているクヌギやコナラの樹は、10メートル四方で約35kg程度の枯れ葉を落とすそうです。 ものすごい量ですよね!
それを虫たちやさらに小さな生き物たちが分解して、栄養豊富な土にしてくれます。 何億年もかけてこうした命のサイクルが作られたのですよ。 自然ってすごいですよねぇ。

文明誕生からまだわずか数千年しかたっていない人類が、こうした自然のサイクル無視して、思うままに操ろうとしたってうまくいくわけないですよ。 私はそう思うなぁ。


落ち葉を踏んで歩きますと、その下の土がとても軟らかいことがわかります。 まるで布団の上を歩いているようです。 それだけたくさんの葉っぱが分解されて堆積しているわけですね。

右の画像の白いものは菌糸です。 これも葉っぱなどを分解して、土を肥やしてくれるわけですよ。 ですからよく落ち葉を集めてきて堆肥を作りますが、落ち葉だけではダメなんですね。 こうした菌糸や分解された土も一緒に混ぜて、さらに米ぬかなどの栄養を与えて菌や土壌微生物を培養することで、落ち葉の分解が進んでいい堆肥になり、畑の土にも菌や土壌微生物が増えて、いい作物が育つようになるのですよ。


戦後、日本の農業は農薬と化学肥料で育てる農業が、進んだ新しい農業だと、農協主導でやってきました。 しかしその結果は言うまでもありませんね。 気の毒なことに今は中国がかつての日本と同じ状況です。 土壌汚染が進んで、5分の1の農地が栽培に適さなくなっているそうです。

最近はJAでも農薬と化学肥料は減らすようにと、生産者に指導しています。 しかし長年のやり方が染み込んでしまっているお年寄りたちに、有機農業に転換させるのはとてもむずかしいことなのですよ。
「クロピクを打ったから(クロルピクリンという土壌殺虫剤を散布したという意味)野菜が良く育つ」と近所のおばあちゃんがうれしそうに話すのを聞いて、私はそのおばあちゃんがかわいそうになってしまいました・・・

小さいけれど頼もしい存在。



とても立派なクヌギの樹。
どのくらい生きているんでしょうね。
みなさんの中には、「昔の人たちは山の樹々を大切にして、自然とじょうずに付き合っていた」 というイメージがありませんか?
しかし実際にはそうとばかりも言えないようです。

民俗学者の宮本常一氏の著書 「自然と日本人」 を読みますと、幕末には中国地方や今の兵庫県あたり、瀬戸内海の島々、四国の一部は文字どおりはげ山になっていたのだそうです。
理由は製鉄、製塩、そして煮炊きなどの生活に使用する薪や炭の原料として、大量の樹が伐られ続けたからだそうです。 製鉄も製塩も薪や炭の火で行っていましたからね。

製鉄というのは 「たたら製鉄」 ですね。 どんなものかと言いますと、映画 「もののけ姫」 の中に出てきます。 女性たちが木の板を踏んで空気を送り、火をおこしている場面がありますね? あれが 「たたら」 です。 「たたらを踏む」ということわざの語源となった大きなふいごですが、ああして火力を上げて砂鉄を溶かして鉄の元を作るわけです。

あれだけの規模のたたら製鉄ですと、100メートル四方の木が1週間ほどでなくなるはずですから、本当ならあの城郭のような製鉄所のまわりの山は、すっかりはげ山になっているはずなんです。 しかしそれでは映画になりませんから、そこはあえて無視したのでしょうね。


瀬戸内海沿岸は昔も今も塩の生産地ですね。 塩田に海水をまいて水分を蒸発させ、さらにそれを大きな釜で炊いて塩を作っていました。 それにはものすごい量の薪を必要としたわけですね。

また、キャンプの経験や、薪ストーブを使ったことのある方ならわかると思いますが、食事の煮炊きをするにしても、冬に暖をとるにしても、1日にかなりの薪を必要としますね。 それが毎日なんですから、電気やガスのなかった時代は、人が生活をするためにも膨大な薪が必要だったわけです。

しかしそうした製鉄や製塩、人々の生活のために樹が乏しくなってしまった山々も、今では緑におおわれています。 明治政府が伐採を制限して植林をしたためだそうです。

今、日本にはスギやヒノキの植林された山が多くなっていますが、これは戦後に植えられたものがほとんどです。 「製紙や建材の需要が増えるから木山は儲かる」 と国が奨励したため、紙の原料として雑木が伐られ、スギやヒノキが植林された結果だそうですが、先に書きましたように、植えた樹が育った今は思惑がはずれて活用されなくなっているわけです。
でも私はかつてはげ山に緑を復活させたように、植林されたスギやヒノキを見直して活用し、そのあとに広葉樹を植えるようになる時がくると信じていますし、一部ではすでに行われています。

私が大好きな立派なケヤキ。


航空写真で見ますと、日本はほとんどが森林におおわれている国ということがわかりますよね。 ホントに山ばっかしです。 これがあまり活用されていないのはもったいないと思いません?

日本の産業・経済が頭打ちで打開策が見つからない今は、自分たちの足元を見直すチャンスじゃないかな。 自分たちの足元、身のまわりに忘れられている財産に気付くチャンスなんじゃないでしょうか?

国が、自治体が、あるいは企業が道筋を立ててくれれば、国土のほとんどを占める森林は、もっと活用できると思います。 もちろん壊さないように仲良くしながらね。
そういう取り組みもなしに 「田舎の過疎化を食い止めよう」 とか言ったって無理ですよ、仕事がないんですから。 仕事がないから街に出て行かざるを得ないんですから。

砂防ダムや堰堤を造るのも治山・治水事業。 スギやヒノキを活用してそのあとに広葉樹を植えるのも治山・治水事業。 あなたならご自分の税金をどっちに使ってほしいですか?という話です。
東京の明治神宮のすばらしい森が人の手によって植林され管理されて、あそこまで立派な森になったということをどのくらいの人が知っているでしょう?
人は自然を壊すこともできますが、自分たちの力で造りだすこともできる存在なのですよ。



2回3回では私の住む集落周辺の山を見ていただきながら
俯瞰(ふかん)的に日本の山林の現状も見ていただきました。
次回からは山の中の自然を楽しんでいただけるように
足元の小さな植物や樹々の不思議、生き物たちのいとなみなどについて
季節に合わせて見ていただこうと思います。