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雑貨屋KUMAの田舎暮らしエッセイ 「東丹沢山ごよみ」 バックナンバー

  第1回
 「田舎暮らしをはじめて14年」

  第2回
 「私の住む集落を紹介しましょう」

  第3回
 「山歩きと日本の山林の現状」

  第4回
 「私の山の楽しみ方」

  第5回
 「山野草と山菜 春のよろこび」

  第6回
 「春から初夏の山」

  第7回
 「幻想的な梅雨時の山、そして夏へ」


  第8回
 「秋の山野草と山の生き物たち」



第5回
「山野草と山菜 春のよろこび」
(2012年4月18日UP)

この 「東丹沢 山ごよみ」 では、神奈川県西部の山の中腹にある歴史の古い集落で、2012年12月までの約15年間、家族とともに田舎暮らしを楽しんだ私の日常や、山で見られる美しい花や風景をご紹介しています。






ショートケーキみたいなハナネコノメソウ。
春は山野草好き、山菜好きにとって狂喜乱舞したい気持ちになる季節。 つらい冬のあとですから、そのうれしさはひとしおなのですよ。

今年 (2012年) の冬はラニーニャ現象の影響のためとても寒くて、それで花も山菜の芽吹きも、いつもの年よりも3週間ほど遅かったですね。
こういう年は春が短くて、パッと咲いてパッと散ってしまいますし、山菜もドドッと一斉に出ておしまいになってしまいますから、もうのんびりしていられなくて大変なのです。 花期の短い花や、食べごろが1日か2日しかない山菜も多いですからね。


さて最初にご紹介するのは、何年経ってもきれいな画像が撮ることができないハナネコノメソウです。 かわいらしいでしょ?

花の大きさは約5ミリ。 小さい上に花期が短くて、しかも渓流沿いの足場の悪いところに多く自生していますから、撮るのがむずかしいのですよ。
今年は新たに自生地を見つけたのが収穫でしたね。 うれしい(^^)


右の画像の花はヒトリシズカといいます。 ネーミングが素敵ですよね。 名前はヒトリシズカだけど、ここには友達がいっぱいいてさみしくはなさそうでした。

見れば見るほど不思議な姿をしている植物です。 おそらく原始的な植物の特徴をそのまま残しているのでしょう。 花なのかしべなのかよくわからないですよね。

同じような環境に、近い種のフタリシズカという花も咲きますが、こんな可憐な花ではなくて、シズカどころかジャイアンみたいな猛々しい姿です。


『人知れず咲いている』 そんな感じの花ですよ。

名前も美しいヒトリシズカ。



ツル性の植物でもないのに
なぜかツルカノコソウ。
画像で見ますと大きな花のようですが、実物はひとつの花の大きさは約3ミリです。 すぐ近くを歩いていても気がつかないくらいとても小さくて、あまり目立たない花ですが、こうして顔を近づけてみてみると、ひとつひとつがとてもかわいらしい花だということがわかります。

「カノコ」 は 「鹿の子」 です。 今は花が密集していますが、これから徐々に茎が伸びて全体が広がり、白い花が鹿の子模様のようになっていきます。
でも私には花とその茎の形が星座図のように見えて、ちょっとおもしろいなといつも思いながらながめています。

あまり見栄えはしないけれど、よく観察してみるとかわいい花という典型のような植物です。


シュンランです。 美しいでしょ?
残念なことに、私がこの集落に引っ越してきてからでも、ずいぶん数が減っています。

植物というのは、生育環境の変化によって繁殖したり減ったりします。 このあたりの山は、以前はまめに草刈などが行われて、ちゃんと手入れがされていたそうですが、街で働く人が増えるにつれて山を必要としなくなり、荒れたままにされるようになってきています。

近所のおばあちゃんの話では、昔は山に仕事に行くと、シュンランはいくらでも生えていたそうですが、残念なことに最近では見つけるのに苦労します。
背丈が小さいですから、ヤブにうもれてしまうと枯れちゃうんですよ。


いつか見られなくなってしまうかもしれませんね。 本当に美しい花です。

山野草の女王と言っていいんじゃないかな。



赤紫と白のストライプがきれい。
このミミガタテンナンショウは、マムシグサの仲間ではもっとも普遍的に見られる種ですね。 反り返っているところを 『耳形』 と呼ぶそうです。

私は美しいと思うのですが、気持ち悪いと言う人も多いようです。 ミズバショウやカラーと同じ仲間なのにね。
春になるといたるところでこの花を見ることができますが、この花は小さいものでは背丈が10センチ程度ですが、大きいものになると1メートルくらいになります。

同じ種であっても、生育年数や環境、土の成分によって大きさがものすごく変わります。 私はそうした植物の融通無碍な不思議なところにとても惹かれるのです。


このあと、同じ仲間のウラシマソウやコウライテンナンショウが咲きはじめます。 それらもとてもきれいなんですよ。


リンドウといいますと秋の花ですが、春に咲く種類もあります。 このハルリンドウやコケリンドウがそうですね。

タラの芽を摘みにいくころにいつも咲いています。 まわりにはタチツボスミレやキランソウなどがたくさん咲いていて、踏まないように歩くのが大変なくらい。

秋に咲く林道は繁殖力が強くて、いくらでも殖やすことができるのですが、このハルリンドウは繁殖しにくい種なのであまり数は多くありません。 地表わずか5センチ程度の小さな命です。

小さくてかわいいハルリンドウ。



このキブシの花を見るといつも
「あぁ ようやく冬が終わる」 と、ホッとします。
花が咲くと、この木がいたるところに生えていることを知ります。 まだ山に春の芽吹きの見られない冬の終わりころから咲きはじめますから、いちはやく春の到来を感じさせてくれるありがたい花です。

まるで花かんざしのような美しくも不思議な姿をしています。 たくさん咲いている木の近くを通りますとかすかに甘い香りがして、房のように下がった花に小さなメジロが取り付いて、忙しそうに蜜をついばんでいる様子はとても愛らしく、ついつい足を止めて眺めてしまいます。


しばらくしますとこの花がみんな緑色の実になります。 「これがブドウみたいにおいしく食べられればいいのに」 といつも思う私です。


前回のエッセイでつぼみの姿を見ていただきましたので、今回は咲いたところです。 直径5センチくらいの手まりのように丸くたくさんの花が咲いて、ジンチョウゲのような甘くてとてもいい香りがします。

ミツマタはこのあたりの山でこのところ急速に増えていて、あっちでもこっちでも大きな群落を作っていますから、花が咲くとそれはもうきれいなのですよ。


ミツマタとは文字通り枝が三つ又に分かれるからなんですが、実は四つ又や五つ又になっていることもあります(^^)

昔は紙の原料となったミツマタ。



葉の付き方も、花の姿もいい感じ。
今年はじめて気がついた、クロモジの花。

クロモジは昔から楊枝に使われているあの木です。 とてもいい香りがするので楊枝に利用されているんですね。
葉を摘んでもむと、サンショのような香りがします。 とてもさわやか。

花もドウダンツツジみたいでかわいらしいし、これからは山を歩く時に少し気をつけて観察してみよ。
この集落で暮らすようになってから15年目だけど、まだまだ知らないこと、気付いていないことがたくさんあるんだろうな。


さて、ここからは山菜のご紹介です。

まずはだれがなんと言ってもタラの芽ですよ。 だれもなんとも言わないけど。

もう全体がトゲトゲです。 こうして自分の身を守るように進化したんですね。 トゲのある木や葉っぱって結構多いんですよ。 トゲが硬くなると食べても痛いですし、かといって葉が展開していない状態では摘んでも食べでがないしで、食べごろはほんの1日か2日程度。 ですから平日だろうが日曜日だろうが関係ないわけです。

タラの芽を採るには手袋とロープが必需品です。 私の白魚を5本並べたようなきゃしゃなおててじゃトゲが痛いですからね。 まぁ それでも手は傷だらけになったりしますが。
少し大きくなった木の場合は、ロープを使ってたわませて採ります。 もう食べるために必死ですよ。

タラの芽はてんぷらがいいですね。 あとは奉書焼きかな。
和紙を水に浸してぬらし、それでタラの芽を包んでオーブンやトースターで焼いて蒸し焼きにして、味噌をつけて食べるとお酒のあてになりますよ。
 

山菜の王者と呼ばれているタラの芽。



香りがさわやかなカキドオシ。
カキドオシは街中でも見られるんじゃないかな。 もう単なる雑草ですよ。
地を這うようにしてどんどん繁茂して、隣の垣根を通して入り込んでくる、というのが名前の由来ですから、気に入ったら採り放題食べ放題です。

カキドオシにはもうひとつハーブとしての名前があって、昔は摘んで干したものをお茶にしたそうで、子どもの疳の虫を取りのぞく効果があったところから、 『カントリソウ』 とも呼ばれています。
心を落ち着ける作用のあるカモミールを 『マザーリーフ』 と呼ぶのと似ていますね。


植物の好きな人なら花と葉っぱの形を見てシソ科だとわかると思いますが、ミントのような香りがあって、なるほどこれなら癒されるなと思います。

花の付いているままてんぷらにしますと、香りはそのままでおいしく食べられますよ。


私は山の林道を歩くのを趣味のひとつとしているのですが、去年林道沿いのガードレールのそばに、このウコギの大木(といっても3メートルほどですが)を見つけましてね、これまで山のヤブを分け入って苦労して摘んでいたので、「ここなら摘み放題じゃん!」 と、飛び上がるほどうれしくなりましたよ。

その時に気がついたのですが、ガードレースに近いところの葉っぱがなくなっていたんですね。 つまりシカもこのウコギの葉っぱを好んで食べていたんですね。
ウコギも食べられないようにトゲを生やしているのですが、シカは器用に葉っぱだけをついばむのでしょう。


ウコギは芽吹いたばかりの葉っぱを摘んで、塩でよくもんでアクを出し、水にしばらくさらしてアクを取りのぞき、ごはんに塩とともにあえて菜飯にして食べます。
香りがよくって何杯でも食べられてしまいますよ。

昔から菜飯の具として利用されてきたウコギ。



セリです。 もう定番ともいえる身近な山菜ですよね。

スーパーでは池のような耕地で育てた茎の白いセリが売られていますね。 水の中で育てることで白い茎を伸ばして、食べやすく改良したわけですね。
なぜ水の中では茎が白くなるのかといいますと、光合成ができないからなんですねぇ。 ネギと同じです。 ネギは土にうずめて白く長く育てているのですよ。 ですからちょっと前までは根深ネギといったのです。


セリは春と秋に摘むことができます。
摘んだセリは水で洗って、沸騰したお湯にくぐらせてさっと湯がき、すぐに冷水にさらしてあら熱を取ります。 茹でてはいけません、くぐらせる程度です。 すぐに冷水にさらさないと食味も香りも悪くなりますからね。

アクはほとんどありませんから、長く水にさらす必要はありません。 おひたしにしても胡麻和えにしても、そばやうどんの具にしてもおいしいですね。


最近は山菜や野の草を摘んで食べる人が本当に少なくなりました。 特に太平洋側の人はあまり食べませんね。
なぜ?と聞くと 「だって畑に野菜があるじゃない」 と言います。 太平洋側は雪が積らず一年中耕作が可能ですから、春の山菜の喜びという感覚があまりないのです。 汚らしいという人さえいますよ。

大昔の人にとっては、野山の食べられる草木は貴重な食料だったでしょうけれど、現代の私たちにとって、こうした山菜や野の草を食べるのは、季節を味わうという意味合いが主になっているでしょうね。 心の歳時記のようなものなのでしょう。

私にとっての山菜の先生は母でした。 子どものころ毎年春になると、家族でツクシやワラビを摘んで食べるのを楽しみにしていました それが私の中に歳時記を作り、季節になるとこうした野の草を食べたくなる、イヤ食べずにはいられなくなるのでしょう。

私はこうした心の歳時記を、自分の子ども達にも伝えたくて、小さいころから一緒に山菜摘みをしてきました。 ですから先日も摘んできたツクシで作った卵とじを、娘にほとんど食べられてしまったわけです・・・・
でもうれしい(^^)
 

ツクシの卵とじ。
わが熊崎家の伝家の味です。



山菜摘みの様子を動画にしてみました。




早春から新緑の季節はいつも、そわそわしながら山を眺めています。
「今頃はあそこにあの花が咲いているんじゃないか?」
「もうあの山菜は芽を出しているのではないか?
いや、もう食べごろをすぎちゃってるかもしれないぞ」
そんなことを思いながら日々をすごしています。

山菜にせよ山野草にせよ、あってもなくても人の生活に変わりはありませんが
あれば心が潤うこともありますし、長い目で見れば
親子、家族のつながりを生み育てることもあります。
忙しい毎日だからこそ、時にはちょっと足を止めて
地面に顔を近づけて小さな花を観察してみてはいかがですか?
「ここにこんなにかわいらしい花が咲いてたんだ」 と発見するだけでも
心が明るく、軽くなることもありますからね。